天草陶石を代表する窯元。白く、薄く、透きとおるような品質が特徴で、資料館も隣接。
18世紀に開業、明治時代に一時衰退した高浜焼は昭和27年に復興を遂げ、世界に誇る天草陶石の良質の原料を生かした作品が焼き継がれている。
洗練された陶工の技とかがやきの白い世界をぜひご覧ください。
また、窯元の上田家は代々庄屋でもあり、上田本家の屋敷は約200年経った今でも保有されている。
【上田家庄屋屋敷】
上田家は東信濃の時代は滋野と称していた。大阪冬、夏の陣で大阪城落城後、我が高浜の地に隠栖する。
天領天草の代官、鈴木伊兵衛重辰(しげとき)は、万治元(1658)年8月に上田家第二代勘右衛門定正に庄屋を命じた。これが庄屋上田家の祖であり、その後代々庄屋を幕末まで受け継がれることとなる。
現在は15代当主上田萬壽夫社長へと受け継がれてる。
この建物は、7代目当主上田源太夫宜珍(よしうず)の時代、文化12(1815)年に建築されたもの。
大広間(十七畳)、中ノ間(十二畳)、居間(十二畳)表座敷(十二畳)、奥座敷(八畳)裏座敷(九畳)、離座敷(十二畳)など、約百畳の広さと部屋数は約二十室にもおよぶ。天井は、二間半(4.5m)ほどの高さがある。
国の有形文化財に主屋、離座敷、表玄関、正門、裏門・塀が登録されている。
昭和7年8月、与謝野鉄幹・晶子夫妻が天草を訪れた際には、離座敷の客房に宿泊した。
■第12回(平成11年度) くまもと景観奨励賞受賞
■平成18年3月27日 文化庁登録有形文化財登録指定
【上田資料館】
天草の古文書と古高浜焼の資料館。
県指定有形文化財をはじめ、古高浜焼が展示してある。
主屋は江戸後期、その他は明治期に建築され、主屋は木造瓦ぶき平屋建て、外壁がしっくい塗りとなっている。